7月27日共同通信配信記事「身もだえするような恐怖 障害者排除する社会懸念(DPI日本会議 尾上浩二)」

 この事件が報じられた時、身もだえするような恐怖を感じた。私は生まれた時から脳性まひの障害があり、子どもの時に入所施設にいた。就寝時も身体機能の訓練の一環として、ベッドに体を固定された状態で寝かされていて、全く身動きできなかった。そんな時に犯人が侵入し、突然刃物で切り付けられたら…。被害に遭われた人の恐怖、理不尽さは人ごとではないと思ったのだ。
 警察に対し、容疑者は「障害者なんていなくなればいい」と語ったという。2月には衆院議長宛てに「私は障害者を抹殺することができる」との文章で始まる手紙を書いていたと報道された。
 なぜそんな考えを持ち、犯行にまで至ったのかは現段階では分からない。ただ、障害者に対する露骨な差別意識が背景にあることは間違いない。
 手紙は引用するのもちゅうちょする内容だが、「私の目標は重複障害者の方が安楽死できる世界です」と書かれている。
 さらに「戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを生みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます」とあり、障害の有る無しで生命を選別し、障害者は殺されて当然とする考えに立っていることが分かる。
 こうした考えを優生思想という。ナチス政権下、ドイツでは「T4作戦」などにより、20万人にも及ぶ障害者らが虐殺された。今回の事件からは、それに通ずるものを感じざるを得ない。
 日本では「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことを目的に掲げた優生保護法が1996年まで続いた。障害者や関係者の粘り強い運動でようやく廃止されたが、優生保護法下で行われた不妊手術などの被害者に対する謝罪や補償は、いまだになされていない。この問題を私たちの社会は総括せず、けじめをつけないまま現在に至っている。
 加えて最近の閉塞(へいそく)感の中、マイノリティーに対する憎悪に基づく「ヘイトスピーチ」や「ヘイトクライム」が平然と行われるような社会状況がある。社会的に困難な状況にある人たちへの暴言をたしなめるどころか、「よく言った」ともてはやす風潮も見られる。こうした中で、この事件が起きた重さを考える必要があるのではないか。
 今年4月、障害者差別解消法が施行された。差別解消を進め、障害の有無によって分け隔てられることのない共生社会=インクルーシブな社会を実現しようとする法律だが、それが施行された年に優生思想に基づく虐殺事件が起きたわけだ。
 私たちの社会は、インクルーシブな社会に向かえるのか、それとも障害者を排除する社会に向かってしまうのか。無関心が一番の問題だ。今回の事件を、決して猟奇的なものと片づけることなく、私たちの社会が進むべき方向が問われていると捉えたい。
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 おのうえ・こうじ 60年大阪市生まれ。DPI(障害者インターナショナル)日本会議副議長。子ども時代を養護学校(現在の特別支援学校)や施設で過ごした後、普通中学・高校に進む。大阪市立大入学後、障害者運動に携わるようになり、同会議事務局長などを経て現職。