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2011年4月20日 (水)

自民党ヒアリングへ要望書を提出

4月14日に行われた、自民党障害者特別委員会厚生労働部会合同会議のヒアリングにおいてDPI日本会議から要望書を提出しました。
要望書全文はPDFにてダウンロードできます。

「東日本巨大地震・津波災害対策についての要望」DPI日本会議

<復興法案に関しての基本的視点>
 災害に強い街・社会への再構築のキーポイントは、障害者・高齢者施策と融合した復興策!
「障害者や高齢者等の支援とバリアフリーの街づくりを復興構想・法案のメインストリームに」
「障害者や高齢者が安全・安心に暮らせるインクルーシブな地域社会への新生となる復興策を」
「ユニバーサルデザイン、バリアフリーを復興策の標準に」

<緊急対策>
〇個人情報 個人情報保護法の一部手直しや運用面での工夫が至急求められる。
〇情報保障 各放送局で他の通常時に比べて字幕付与の割合がどの程度増加したのか、数値を出していただきたい。
〇自立支援法関係等の被災現地の状況をふまえた制度運用について

(1) 被災現地におけるヘルパー不足の状況をふまえて、重度訪問介護や行動援護等のみなしヘルパー制度を。
(2) 被災地支援センターや福祉避難所等を一時的にデイケア事業としてみなした制度適用等の支援を。
(3) 居住環境の変化やそれまで利用していた生活介護等が使えない場合などにおいて、居宅介護、重度訪問・行動援護等の支給決定時間の延長等の柔軟な対応と国の財政支援を。
(4) 厚生労働省が出している「補聴器や日常生活用具の再給付、再交付については、耐用年数未満でも行うこと」「身体障害者手帳の再発行については、過去の申請、診察の結果等により医師の判定等を省略して、すみやかに発行すること」などの事務連絡につき、実効性を確保する施策を講じていただきたい。
(5) 居住市町村以外での生活を余儀なくされている障害者への福祉サービスについて、地域生活支援事業によるコミュニケーション支援(手話通訳・要約筆記派遣など)や日常生活用具の支給は、市町村が実施主体とされているので、他の市町村に避難している被災者が従前のサービスを受けられるよう格段の配慮を払うと同時に、同様なサービス提供が可能であることを被災者への周知していただきたい。
(6) 身体介護、家事援助、重度訪問介護、行動援護、通院介助、移動支援等、細分化しているサービス体系と資格要件を、被災地・被災者に限り、できるだけ簡略化(一本化が望ましい)していただきたい。
(7) 被災地(自主避難含む)のホームヘルプ事業所や相談支援、小規模作業所等の地域生活支援等にかかる費用は、災害復興に関する国の補助(全額国庫負担)としていただきたい。

要望書のダウンロード(PDF)はこちら↓
http://dpi.cocolog-nifty.com/website/work/t.jimin_yobo2011.4.14.pdf

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2011年4月18日 (月)

蓮舫大臣、支援センターふくしまを視察

4月9日、JDF東日本大震災被災地障がい者支援センターふくしま(郡山市)に、蓮舫大臣他、金子恵美参議院議員、村木厚子統括官、山崎俊巳消費者庁参事官が視察にきました。視察は40分ほどでした。

代表の白石清春さんから、在宅で取り残されている障害者の安否確認のための名簿提出、避難所における障害特性に配慮した支援、障害者の災害対策の基本方針を新たに障害者基本法に盛り込むことなど「現場からの要望」10項目を提出しました。

また、視察の際に同席することができなかった、田村市の「ケアステーションゆうとぴあ」理事長の鈴木絹江さんからも、特別な配慮や支援が必要となる障害者が利用できる避難所の確保の必要性や、避難生活における困難についての意見が届きました。
自身も障害者である鈴木さんは、重度の障害をもつ単身生活者、ヘルパー職員と共に、福島県昭和村や新潟への非難を余儀なくされました。

写真:蓮舫大臣、視察の様子

Photo_4   

蓮ほう大臣が帰ってからも15分ほど村木統括官らは残り、現地の方の話を聞いていかれました。
金子議員は、一人残って支援ボランティア約30名と一時間ほど懇談の時間を持ちました。

この様子は、4月10日付けの福島民友に掲載されました。

写真:新聞記事 クリックすると拡大します

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2011年4月14日 (木)

福島県郡山市、南相馬市視察(4月7日-8日)

障害者救援本部の事務局児玉さんからの報告をお届けします。

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4月7日(木)から2泊3日のスケジュールで福島県郡山市、南相馬市に行って来た。  
東北関東大震災より約1ヶ月の月日が経ち、ライフラインの確保であろう東北道の補修が進んでいるように見受けられた。

<4月7日(木)>
八王子を出発し、約6時間で福島県郡山市へ到着した。
その足で富岡町、川内村の方々が避難している「ビッグパレットふくしま」へ向かった。
到着したのがお昼時ということもあり裏の出入り口には、食事の配給を待つ人で長蛇の列ができていた。中の様子は、エントランスに皆さん各世帯ごとにダンボールで仕切りを作り、そのスペースで寝起きをし、食事をとっていらっしゃるようだ。

各フロアのエントランスも同様だった。
各フロアを回る中で、障害者の方に会えるかどうか、くまなく探したが会うことができなかった。「ビッグパレットふくしま」の事務局に現状を聞いてみることに。
事務局では、7割程度避難者を把握しているようで、避難者の選別なく受入れているので新しく避難された方についてはまだ把握していない部分がある。
福島県全体の避難状況は、震災で避難し、原発で避難し、というような流れで避難所を点々とすることが震災後あったようで避難状況を掴めていないことが各地でもまだまだあるようだ。

写真:「ビッグパレットふくしま」の様子

Cimg1741 

「ビッグパレットふくしま」から「郡山市社会福祉協議会」へ移動。
郡山市社会福祉協議会では一時貸付金などで長蛇の列ができていた。担当窓口で市内の障害者の状況を聞いたのだが、まったくわからないという返答だった。足早に「オフィスIL」へ向かうことに。

オフィスIL代表の白石さんを中心に、岡部さん、宮下さん、杉田さんから郡山の現状を聞いた。「総合相談窓口」の開設、障害当事者の避難所から地域へ戻ってきてからの支援、「JDF被災地障がい者支援センターふくしま」の取り組み、郡山市に在住している障害者の名簿の開示を交渉しているなどの情報を聞いた。

<4月8日(金)>
今日は朝から南相馬市にある「デイさぽーと ぴーなっつ」の青田さんを訪問するため
郡山市を出発した。「デイさぽーと ぴーなっつ」は、第一原発半径20km~30km間に位置しており、屋内退避となっている。青田さんからは地震発生からこれまでの状況をお聞きすることが出来た。南相馬市は原発問題発生時、大混乱に陥り、「バスによる退避」「ガソリン10リットル給付で各自家用車での避難」「留まる」これらがすべて自己責任と市から言われたようだ。

青田さんは「その当時、市のできうる最大限だったと思う」とおっしゃっていた。全人口7万人から6万人の人が避難されたようだ。知的障害をお持ちの方で、避難している車中でてんかん発作で亡くなった方や避難所で亡くなっている方が数名いるそうだ。青田さん達は、細かなニーズを聞いているうちに避難し遅れて今にいたるようだ。

今現在の南相馬市は、避難所から8千人の方々が戻って来られ、1万8千人の方々が生活しているようだ。この避難所から戻って来られた方々の多くは、避難所での今後の展望や肉体的、精神的に限界を迎えた方々がほとんど。
生活用品や食料品は地元のスーパーの人が東京や近隣の県へ仕入れに行き、お店を開け、そこへ買いに行き生活を皆さん営んでるようだ。「デイさぽーと ぴーなっつ」の利用者の多くは、知的障害者や重複障害者の方々で、その本人やご家族から再開して欲しいという要望をたくさん頂き、4月11日(月)より再開予定。
慣れない避難所生活より知的障害者や重複障害者の方々にとって、「いつものデイに行きたい」「仲間に会いたい」という気持ちの方が強く、「通いたい」という声をたくさん青田さんは聞いている様子だった。

その後、青田さんに案内をしてもらい、福島県浜通りの状況を見に行くことに。沿岸部は想像を超えた状況で、「ヨッシーランド(高齢者入所施設)」、「火力発電所」などを車で見て回った。

今回の訪問で被災地で起こっていることがよくわかった。
それと同時に、今後どのような支援を行っていけば良いか、新たな苦悩も出てきた。
しかし我々に退路はなく、進むしかないのだと強く心に思った。

写真:被災地をまわる救援本部メンバー

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2011年4月12日 (火)

福島の障害女性の話

女性障害者は、平時より「障害者であること」と「女性であること」の複合差別にあっています。今回の非常事態にあって、女性障害者がどのような環境に追いやられているのか。

今回は、その実情を報告します。

原発から20キロ圏内で「避難指示」が出ている地域から60代の重度脳性まひの女性が、県外に避難する為に、自立生活センターを頼って避難してこられました。

その女性は、親の反対で教育も福祉サービスも受けることもできず、親元でずっと生活してきました。

今回、「避難指示」が出たため弟夫婦と避難所に避難しましたが、その市には福祉避難所がなく、トイレに行くにも支障があったそうです。
最初のうちは、弟が頑張って介助をしてくれていたそうですが、弟もこの先どのくらい続くか分からない避難生活の不安の中、彼女の介助をし続けることを断念し、今回、人づてに県外のホテルに避難中のCIL職員を頼って避難してくることになりました。

ガソリン不足の中、自らも避難生活をしているCIL職員が数十キロ離れた避難先まで、リフトカーで彼女を迎えに行ったそうです。

彼女は、今まで自宅で、一週間に1回、弟の奥さんがまとめてつくるおにぎりを毎日レンジで温めて食べるのみだったそうです。
身体の調子が良い時に、たまに電動車いすでコンビニで好きな食べ物を買うことだけが他の物を食べられるチャンスでした。

今回、県外の避難先で、数十年ぶりに温かい味噌汁を口にすることができたそうです。
あわてて避難してきたため、電動車いすを持ってきておらず、県外で避難生活中のCIL職員が、彼女の電動車いすの交付手続きをしたり、介助を提供したり、他人介助を受けることについて相談に乗ったりしてくれています。

これは一例で、自らも被災したり、避難生活を送りながらも、現場でふんばってくれているCIL職員や介助者、支援者がたくさんいます。
そのような方たちに、何と言っていいのか分かりませんが、ただただ感謝の思いでいっぱいです。

今回の災害で、もともと自立生活を送っていた障害者が、避難所での生活を断念し、県外の親元に戻った障害者もいます。

また、このような状況下で、家族に対して「申し訳ない」と肩身の狭い思いをして、小さくなっている障害者の話も伺いました。

障害者が主体的な生活を取り戻すには、本当に息の長い支援が必要だと感じます。

障害のある女性は、普段から情報が届きにくく、声をあげることがさらに難しい、ニーズを出しにくい立場におかれています。 介助や補助が必要な人や呼吸器をつけている人などのなかでも、特に女性は、生きる優先順位を自分でも低めにつけがちです。
平時の社会でも、人工呼吸器の装着が必要になった場合、女性のほうが男性より、呼吸器をつけて生きることを選ぶ人の割合が「低い」というデータがあります。

今後、障害者、とくに女性障害者がこれ以上悲惨な環境に置かれないよう、社会の問題意識をさらに高めていく必要があります。

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2011年4月11日 (月)

宮城県、福島県視察(4月1日-5日)

今回は、被災地での様子をお伝えします。テレビが通常放送に戻り、だんだんと物流や交通機関も復旧してきているというニュースが流れ始めていますが、今もなお明日の不安を抱えながら、ぎりぎりの状況で生きている人々がいます。どうか、そんな人たちのことを忘れないで下さい。

下記は4月1日から4泊5日のスケジュールで行った、救援本部安達さんの宮城県と福島県の視察の報告です。

<4月1日>
地震から3週間たったこの日、仙台市太白区のCILたすけっとを訪問した。東北道は多少の凸凹はあったが復旧しており、八王子から5時間程度で到着した。

出迎えてくれたスタッフの笑顔にほっとしつつ、さっそく乗り付けたトラックの荷台から布団や経口栄養剤などの物資と原付を降ろす。事務所に入り、温かいせんべい汁をご馳走になりながら、この3週間の話しを聞いた。
スタッフは無事であること、市内のライフラインはほぼ復旧し日常生活は営めること、今後近くに仮設住宅ができるであろうことなど。

<4月2日>
多賀城市と石巻市の避難所を訪問した。「やるべき事は、現場を見たらわかる」という佐野さん(ぽてとファーム)の言葉通り、避難所は多くの問題を抱えていた。
多賀城市文化センターは避難者で足の踏み場はなく、むっとする空気で溢れていた。和室に入れた人やロビーのソファーが使えた人はまだ良いが、多くは堅いタイル敷きの廊下にダンボールとせんべい布団を敷いて寝起きをしている。一目で、高齢者や障害者が長期生活ができるような環境ではないとわかる。
タイルの廊下の片隅で、ダンボールの上に敷かれた布団がシワ一つ無くきれいに折りたたまれている光景に目を奪われた。辛い避難生活の中にありながら、身の回りのものを整える事を忘れない心遣いが、とても痛々しく、胸がしめつけられた。

避難所生活の壮絶さを初めて目にして言葉もなく、ただ石巻市へトラックを走らせた。津波被害にあった石巻市立病院の患者が避難しているという遊楽館(ゆうがくかん)を目指す。
ここはスポーツ施設で、体育館がある。体育館に150~160人の患者がきれいに並べられているのだが、ついたては一切無い。
説明によると看護師やヘルパー等の人手が足りず、ついたてがあると患者の急変に対応出来ないという。

人手不足を解消するために、近所の中学生がボランティアで手伝いに来ており、布団の間を歩き回りながら、患者が手を挙げたら看護師を呼ぶ役割を担っていた。
ついたてがないと言うことはプライバシーが無い。オムツの交換が必要な患者は、その場で布団をはぎ取られ、下半身を露わにされてオムツ交換となる。それが、ボランティアの中学生の目の前で行われている。

<4月3日>
福島県に移動し、福島市、南相馬市、郡山市を訪問する。福島市ではILセンター福島の方々を訪ねた。マスコミ報道でも知られているが、福島市は第一原発から30km圏外であるが放射線の測定数値は高い。殆どの家庭で子供を他県の親類縁者の所へ避難させていると言う。

「今後、福島県出身だというだけで結婚できない、という福島差別が起こるだろう」  という言葉に、福島の人達が抱える恐怖を垣間見た。

114号線を東へ走り、南相馬市に入る。街は閑散とし、商店は閉まり、人気が無い。とりあえず市役所へ行くと、日曜日にもかかわらず多くの市民が住民課を訪れていた。
転居届を出しているのだろう、と思った。ボランティアの受付は社会福祉協議会へ、という張り紙を頼りに、社協へ。救援物資の受け付け場所にもなっていた。
トラックのナンバーが八王子なので気になった、という男性が話しかけてきた。この男性も八王子からボランティア活動をしに来たという。
男性によると、この物資受付所で10名程度が活動しているが、南相馬市の人は1人だけで、あとはボランティアらしい。中を見せてもらうと、私設の倉庫程度の物資しかない。
これで現在市内に残っている2万人の市民を支えるのは無理があるだろうと思った。話しを聞くと理由は原発だ。隣の相馬市なら行ってくれるドライバーはいても、南相馬市へと言うと一様に断わられるらしい。しかたなく、ボランティア達が相馬市の倉庫へ物資をもらいに行っていると言う。

海岸へ向かい、津波被災地を見た。家も田畑も、道路のアスファルトも、高圧電線の鉄塔までも流されてしまった現場で、ゴルフクラブを手に泥の中を歩く住民の姿があった。津波から3週間、毎日何かを探し歩いているのだろう。涙があふれた。

郡山市へ向かう道中、浪江町へと続く道路が警察車両によって封鎖されているのを見た。オフィスILを訪問した。

<4月4日>
いわき市と田村市を訪問した。原発から20km圏内の川内町等の人々が避難しているビッグパレットふくしまを訪問した。1万人ほどの人が避難生活をしているという。施設内には、人目や寒さを防ぐためダンボールで作った小屋が建ち並ぶ。
蓄積された知恵が、長い期間ここで生活していることを伝えている。ここで不思議に思うことが2つあった。一つは障害者の姿を全く見かけないと言うこと。人口の8~10%が障害者であるという日本政府発表からすると、800~1000人程度の障害者がいてもおかしくないのだが。もう一つは、介護が必要な方のスペース、と張り紙がされている場所が2階にあると言うこと。
エレベーター前もダンボールハウスで埋め尽くされ、エレベーターが機能していないことが推測できるのだが、どうやって要介護者が2階へ移動するのか、不思議である。

日のある内に被災地を見ておきたくて、いわき市へと急いだ。途中雪が降ってきた。いわき市もライフラインが復旧しつつあり、街には部活帰りと思われる自転車通学の学生が集団で走っていた。
CILいわきには連絡もなく行ってしまったが、快く出迎えてくださった。CILいわきは現在新宿区の戸山サンライズに避難している。しかし、集団避難も時間的に限界があると言う。
事業を中断している間に一度はなれたヘルパーは二度と戻ってこない、という不安がある。なるべく早く戻り事業を再開しないと、今後の障害者の生活が保障できなくなるらしい。
しかし、原発の怖さは常に念頭に置きつつの事業運営となる。いざとなれば150人規模で集団避難できるルートと避難先を確保しなくては、と言う。
しかし、いわき市全土が避難勧告が出ると言うことは、福島市も郡山市も同様であり、100万人が避難するということになる。それをどこで受入れるのだろうか。
その時点でも東京は全く原発被害がない、とは言えなくなるだろう。

夕方、田村市にとある夫妻を訪ねた。

農家は土地を本当に大切にしてきたんです。手を掛けて可愛がれば、土地は応えてくれる。猫の額ほどの土地でも、他人の手に渡らないようにするために近しい親類縁者と結婚して守り抜いて来た。それを手放すのはどんなに辛いか。放射能に汚染された土地でも、見た目には全くわからない。
それが悔しい。色が付いていたり、臭いがしたりしてくれれば、あきらめもつくのだけど。と、涙ながらに話してくれた。

言葉につまる妻にかわって、微笑みながら言葉をつなぐ夫の「福島は貧しいところなんです。日の当る土地は田畑にし、自らは日陰に住むんです。」という言葉が、深く胸に突き刺さった。

多くの介護派遣事業所も被災し、利用者の安否確認が進んでいない。現在仙台と郡山に現地拠点を設置し、その作業にあたっている。今後、仮設住宅のバリアフリー化、介助派遣の人材確保、ヘルパー講座の講師派遣、被災者の心のケア、ピアカウンセラーの派遣、原発被災者の避難場所の確保、などなど思いつく課題は沢山ある。ひとつひとつ、しかし早急に進めていきたい。

写真:被災地の様子①

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写真:被災地の様子②

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2011年4月 6日 (水)

届け!全国の仲間からのメッセージ!

救援活動開始から、半月が経ちました。
今日は皆さんに、寄付と共に救援本部に寄せられたメッセージをご紹介します。

◇大変な状況の中命の危機にある仲間にたちが必要な支援を受けられますように。頑張りましょう。(熊本県)

◆厳しい状況のなかの支援、大変だと思います。
被災された方、支援する方、全てにエールを送ります!皆さんの無事を祈っています。(京都府)

◇みんなで力を合わせて、心を合わせてがんばりましょう!!(愛媛県)

◆今こそ、支え合うネットワークを!!(熊本県)

◇祈!皆様の健康とがんばりすぎないご活躍。(東京都)

◆安心と笑顔が一日でも早く訪れるよう心よりお祈りします。(東京都)

◇被災地の障害のある方の支援に役立てて頂ければと思います。
私たちは、何があってもこの困難をのりこえなくてはなりません。生きましょう!(東京都)

◆私も障害者なのでそのつらさはわかります。頑張ってください。(広島県)

◇ALSの方、ご家族の方、がんばって生き抜きましょう!
関東でALS在宅です。できるところをサポートします。(埼玉県) 

◆私には寄付をする以外に何もできませんが障害のある子どもを持つ親として、
皆様のやっておられることに深く心から感謝申し上げます。(広島県) 

◇娘が4歳でダウン症です。被災地ではみんなが弱者とはいえ、
より弱い立場で主張が難しい、知的障害をもつ方々を護ってあげたいと思います。(東京都)
 
◆本当に長期の支援が必要だと思います。
関西の地からできること、長く応援していきたいと思います。(兵庫県) 

◇九州にいる私たちも今出きることとして、
微力ですが募金などの支援を続けていきたいと思っております。
遠く離れていますが心から応援しています。(福岡県) 

◆阪神大震災のときに、被災地障害者センター周辺でボランティアをしていたものです(私も被災者でした)長期戦となると思いますが、これからも活動がんばってください。(兵庫県) 

◇私たちは地域で在宅生活を送る障害者をサポートするグループです。
この度の震災はとても他人事とは思えず、マスコミに取り上げられることもほとんどない在宅障害者の方々がこのような非常時の中、 めげずに生きぬいていかれるよう応援しております。(埼玉県) 

◆アメリカに住むアメリカ人からの依頼です。
震災障害者(特に知的障害者)の救援に役立ててください。(愛知県) 

◇当たり前の生活を送りたい、それだけのためであっても、
日頃から多大な苦労のある人たちにとって、今回の震災は本当に過酷だと思います。
それでも、日本中、世界中が共にこの困難を乗り越えようと、助けになりたいと思っています。 長い道のりになるかもしれませんが、みんなで少しずつ!(滋賀県) 

◆健常者、お年寄りの情報はTV新聞で報道されますが、
一番困っている障害者の方のことは少ないですね。
目の不自由な方が回りの様子がおかしいと感じたときはとり残されていたとか、
そんなことがあってはいけないのに、それが現状なのでしょうね。
今こそ、支え合うネットワークを!!(埼玉県)

◇心は一つです。被災されたみなさん。どうかくじけないで下さい。お体ご慈愛下さい。
ボランティアでご活躍するみなさん。よろしくお願いします。(東京都) 

◆朝の来ない夜はありません。きっと光が見えてくる日が。
ぼちぼちみんなでゆっくりと復興を。(大阪府) 

他にもまだまだたくさんのメッセージが救援本部に寄せられています。
日本全国、世界各地で多くの人々がエールを送っています!

メッセージ一覧はこちら(随時、更新していきます!)
http://dpi.cocolog-nifty.com/vooo/kyuen_message.html

人と人は、距離を越えて「思い」で繋がれるのですね。
皆さんがそれぞれ、自分にできることは何か、
正面から真剣に向き合うことが結集すれば、
やがて大きな支援に繋がります。

これからも、継続した活動が必要になってきます。
私たちの活動へ、今後もご支援をよろしくお願いいたします。

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2011年4月 1日 (金)

救援活動に関連した各地の動き

1)3月24日にJDFの緊急要望書第2弾が内閣総理大臣、厚生労働大臣、総務大臣、国土交通大臣に提出されました。
要望書全文は、救援本部のホームページからご覧いただけます。

JDFの緊急要望書第2弾-9項目
1.避難先(遠隔地)におけるホームヘルプサービス支給決定の確保の周知・徹底等
2.仮設住宅のバリアフリー化
3.在宅人工呼吸器使用者、オストメイトについて
4.ガソリン等、移動のための燃料確保
5.報道・広報に関して
6.避難情報や避難場所について
7.薬等について
8.遠隔地に避難されてきた障害者等への支援
9.障害者自立支援法における作業所等の公費収入について

救援本部ホームページ
http://shinsai-syougaisya.blogspot.com/p/jdf.html

2)3月25日・26日には、都内のCILが中心となって新宿と渋谷で街頭募金活動を行いました。週末の都会ということもあり、多くの人が足を止めて協力してくれたようです。

写真:募金活動の様子

3)福島県郡山市では避難所から自宅へ戻った方のために、CILふちゅうのスタッフと、地元ボランティアで家の中の片づけを行いました。

写真:避難所から自宅へ帰宅

4)滋賀県ぽてとファームのメンバーがいわき市を訪れた際の動画が、YouTubeで公開されています。地震と津波の被害の大きさを知ることができます。

YouTube動画:被災地の様子

5) 東北関東障害者救援本部の専用口座が開設されました。
皆様からの寄付金をぜひお寄せください。

振込口座:
●郵便振替口座  00140-7-429771
口座名義:東北関東大震災障害者救援プロジェクト

銀行振込:
●ゆうちょ銀行 店番019(ゼロイチキュウ) 当座 0429771
口座名義:東北関東大震災障害者救援プロジェクト

私たちの活動はまだまだ続きます。
引き続き、皆さんのご協力をお願いいたします。

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